名古屋大学 児童文化研究会 (名大児文研) OB

名古屋大学児童文化研究会のOBが作るブログです。1960年代から1970年代にかけての写真や資料を紹介します。

黄色い扉 第8号(その1)

黄色い扉 第8号を紹介します。第8号の1回目です。表紙に発行日がちゃんと書いてあって、1973年4月24日、名大児文研書記局発行となっています。急にきちんとした形になりました。この会の黄色い扉は、力が入っている! 新入生が入って、その歓迎号も兼ねているようで、児文研の歴史が紹介されていたり、3者協やら愛郷布里やらSo班やらChi班やら、児文研特有の略語の紹介があったりします。まあ、新入サークル員の皆さんに、急いで児文研を理解してもらって、なんとか頑張ってもらおうという意気込みが感じられます。

この号の表紙は僕が書いたものなので自画自賛ですが(笑)、なかなか凝っている。書記局員がサークル室で表紙をどうしようか考えているところへ、2年に進級したズンさんがやってきて、中央に置いてある古い事務机で何か書き始めました。いや、ズンさんは書記局員で、表紙をどうするか一緒に検討していたのかもしれない・・・。それをスケッチしてそのまま表紙にしたものです。ですからシルエットの女性はズンさん。その後ろにサークル室入口ドアがあいていて、学生会館食堂の窓が見えるという構図です。そういえば、学生会館はサークル室棟より少し土盛りがしてあって小高くなっていました。木が生えていたのも覚えています。壁には、「歓迎」の文字も見えて、いかにも新入生歓迎号という感じですね。

ちなみに、下は1973年ごろの写真ですが、サークル室の前から学生会館の方にカメラを向けて撮影したものです。写っているのは児文研のサークル員。たしかに学生会館が小高くなって、その斜面に木が生えています。

今年の5月30日にアップした<黄色い扉 第7号(その4)>に「む」さんというOBの方がコメントを下さいました。もしまたこのブログをご覧になっているなら、学生会館にも思い出があるのではないでしょうか。

それともう一つ、今回紹介する号の表紙は「ガリ版印刷」のようではありますが、どうも「ヤスリと鉄筆とロウ原紙」ではなさそうです。文字の線が鉄筆で書いたものほどシャープではない。たぶん、ボールペンで書く原紙、ではないかと思います。おぼろげな記憶では、このタイプの原紙は緑色だったような・・・。その原紙を輪転機に巻き付けて印刷したのだと思います。輪転機は学生会館にあったものを借りていたのだと思います。文サ連のものだったのかもしれません。たぶん、ですが・・・。2年ほどの間に手刷りの謄写版は姿を消したようです。ただ、2ページ目を見ると、たしかに鉄筆のシャープさがある。そうであれば、ボールペン原紙とロウ原紙が混在していたのかもとも思います。

というわけで、今回は、表紙と目次、2ページだけの紹介です。