名古屋大学 児童文化研究会 (名大児文研) OB

名古屋大学児童文化研究会のOBが作るブログです。1960年代から1970年代にかけての写真や資料を紹介します。

黄色い扉 第11号(1973年9月発行) その2

暑い夏でした。残暑も厳しそうです。夏の暑さとは関係ありませんが、更新が進みませんでした。月1回のペースになってしまいました。いかんいかん、頑張らにゃ。今日は、1973年9月に発行された名古屋大学児童文化研究会の機関誌「黄色い扉」のふりかえりの2回目です。

今回は、名大児文研の「夏合宿」の自己総括です。ヤッコ、ガンタ、HATCHIの分、計4ページです。ヤッコは、海老小での公演の司会をしたことを語っています。「穴があったら入りたい」気持ちだったと・・・。ただ、僕には「海老小」という名前がなつかしかったですね。ガンタは「毎年同じ土地に入っていくもとの意義が少しわかったような気がした」と言っています。この鳳来寺町(布里地区その他)での夏合宿は、ぼくが入部したときにはすでに行われていたが、ここで地域活動や人形劇の巡回公演をするようになったいきさつを、先輩にあまり聞かなかったのが少し悔やまれます。県教委の紹介だったという話は聞いたような気がしますが、真偽のほどはわかりません。HACCHIさんは遅れて一人でやってきたのですね。途中でゾゾさんに会ってホッとしたと書いてあります。僕も遅れて参加になって、合宿所(まんじゅう屋・・・空き家だったけど)のそばまで行くバスがもうなくて、川に沿ってとぼとぼと夜道を長時間歩いたことが思い出されます。まあ、ぼくの場合も連れがあってよかったのだけど。