名古屋大学 児童文化研究会 (名大児文研) OB

名古屋大学児童文化研究会のOBが作るブログです。1960年代から1970年代にかけての写真や資料を紹介します。

2021-01-01から1年間の記事一覧

黄色い扉 第6号(その2)

久しぶりの更新です。第6号は1972年の11月ごろ発行ですが、その2回目になります。 記事を書いているのは、MASAさん、ゾウリさん、JUMBOさん、ゾゾさん、TAROさんです。さらに迷人、TAMA・・・と続くのですが、今回はTAROさんまで。キリがいいので・…

黄色い扉 第6号(その1)

黄色い扉 第6号です。発行は1972年11月と思われます。末尾に12月の予定表が掲載されていること、1972年11月10日付の記事があることから推測できます。それにしても、表紙・裏表紙に発行日とか発行者が標記されてないのは、今になって思うと…

黄色い扉 第5号(その5)

第5号の最終回です。今回、どうしても触れたくなるのはメイジンさんの「布里のこと」という一文。僕自身の記憶では、「愛郷・布里(あいごう・ふり)」と、愛郷と布里がセットで出てきます。布里というのは、愛知県の新城市にある山村の名前です。当時の地…

黄色い扉 第5号(その4)

第5号のその4です。今回の掲載文で気になるのは、ひとつは「執行部」。これはサークルの運営機関の名称でした。「班執」というのも出てきて、そうだ、そんなふうに言っていた・・・なんて思いました。このみうらさんの文章の中でも、創造班(So班)と地…

黄色い扉 第5号(その3)

この号は「新入部員特集」となっていて、自己紹介の記事が掲載されていますが、記事を書いてくれたのは9名で、今回は7名分が出てきます。 その中に「”パラリコさん”に魅せられたある新入部員の手記」という記事がありますが、当時、サークル員が集まると「…

黄色い扉 第5号(その2)

第5号の(その2)です。表紙に「ー新入部員特集ー」とあるように、この年児文研に参加してきた人が自己紹介的な文を寄せています。みんさんユニーク! それと、当時の学生の生活やら、若者のトレンドやらが垣間見えて、なんか懐かしいです。YOPPON氏の文章…

黄色い扉 第5号(その1)

「黄色い扉」の次の号です。第5号と書きましたが、どこにも「第5号」の表記はありません。発行日も書いてない。見開きの前書きに、「やっとできあがりました。書記局発足後、1ケ月余・・・」の文があるので、5月から6月にかけての発行なのでしょう。3…

黄色い扉 第4号(その2)

第4号 その2です。 TAROちゃんの「一年旅行の記録」というのが、むちゃくちゃ懐かしい。なんといっても当事者の一人なものですから。でも、読み返してみると、意外と記憶があいまいで、そういえばそうだったのかということもたくさんあります。もちろん、…

黄色い扉 第4号(その1)

「黄色い扉」 第4号です。1972年3月28日発行となっています。 発行されたのは春休み中です。春休みというと、なんか合宿をしたような気がします。佐久島だろうか、それとも春日井のお寺だったろうか? 「総括」「方針」などという議論が行われたので…

黄色い扉 第3号(その2)

「黄色い扉」第3号のその2です。1972年の2月発行です。 記事に「新年会」の記事が出ていますが、おそらく平針か鏡が池でサークルの地域班がつくっていた「子ども会」の新年会のことだと思います。ただ、僕自身は「創造班」だったので、どの地域のこと…

黄色い扉 第3号(その1)

黄色い扉 第3号です。1972年2月の発行です。どうも、月1回の発行を目指していたようですね。当時のことを考えると、毎月発行というのはなかなか難しかっただろうと、変な話ですが、心配してしまいます。今、心配してもしょうがないけど・・・。 表紙…

黄色い扉 第2号(その3)

ガリ版の印刷は、やはり部室の中でやっていたように思います。学生会館横の同好会やなんかの部室が5つほど並んだ長屋のような建物でしたね。黄色い色の塗られた児文研の部室に向かって右は部落研、左はアマチュア無線の部室だったと思います。 とにかく部室…

黄色い扉 第2号(その2)

黄色い扉第2号(1972年1月発行)の続きです。そういえば、ガリ版を切って、印刷は確か学生会館・・・黄色い扉の部室を出てすぐ右手にあった学生会館2階でやってたような気がするのですが。果たして部室で印刷したのだったか・・・? 青刷りのコピーは…

黄色い扉 第2号(その1)

ブログ更新が進みませんでした。 コロナが猛威を振るっております。その中で安全安心がうたわれてオリンピックが開催され、コロナが爆発的感染を示し、そしてパラリンピックが開催され子どもたちが「動員」されようとしている。どうなっているのかこの国は!…

黄色い扉 創刊号(その5)

「黄色い扉」(1971年12月発行)の紹介、続編です。ずいぶん読みにくい印刷ですね。輪転機に原紙を張り付けて印刷するのではなく、箱型の印刷機(機というほどのものではないが・・・)のシルクのスクリーンに原紙を張り付けて、インクを付けたローラーをそ…

黄色い扉 創刊号(その4)

黄色い扉 創刊号の19ページから24ページまでです。ガリ版刷りというのは、今ではもう見られなくなりましたが、ガリ切り(版づくり)も、印刷も、なかなか技術のいるものでした。紙も劣化や変色が激しいですね。

黄色い扉 創刊号(その3)

「黄色い扉」創刊号の紹介のつづきです。今回は9ページから18ページまで。

黄色い扉 創刊号(その2)

名大児文研のサークル内機関誌「黄色い扉」創刊号紹介の続きです。今回は5ページから8ページまで。

黄色い扉 創刊号(その1)

名大児文研では、1971年12月から「黄色い扉」というサークル内機関誌を発行していました。ガリ版刷りのものですが、当時は結構苦労してつくったものです。 手元にあるものを少しづつ紹介していきます。最初は1971年12月24日発行の創刊号です。何回かに分けて…

60~70年代の児文研の会員

当時の児文研の名簿です。 名前とニックネームです。当時はニックネームで呼び合っていましたね。 間違いの訂正やご意見がありましたら、下の「コメント」欄に記入して送信してください。

はじめまして

名古屋大学児童文化研究会は、1962年から現在まで活動が続けられています。 このブログでは、1960年代から70年代にかけての写真や資料を紹介します。