名古屋大学 児童文化研究会 (名大児文研) OB

名古屋大学児童文化研究会のOBが作るブログです。1960年代から1970年代にかけての写真や資料を紹介します。

黄色い扉 第5号(その5)

第5号の最終回です。今回、どうしても触れたくなるのはメイジンさんの「布里のこと」という一文。僕自身の記憶では、「愛郷・布里(あいごう・ふり)」と、愛郷と布里がセットで出てきます。布里というのは、愛知県の新城市にある山村の名前です。当時の地域名で言えば、愛知県南設楽郡鳳来町布里。名古屋からだと名鉄豊橋まで行き、当時の国鉄飯田線で新城まで行って、そこからバスで40~50分かかる、当時は「僻地」という感じのところでした。その地区で、名大児文研は地域活動をしていたのです。創造班だった僕には、年に1回、夏休みに「人形劇」を携えて布里小学校、愛郷小学校などで公演をした記憶しかありませんが、地域班は年に何回か布里地区を訪れていたようです。布里小学校、愛郷小学校は統廃合されて、今は廃校となっています。当時でも子どもの数はそうもたくさんではなかったと思いますが、少子化の時代、統廃合はやむを得ない流れなのでしょう。

ところで、どうして「布里地区」で子どもたちとの地域活動や人形劇の公演活動が始まったのかはよくわかりません、先輩の皆さんに説明してもらったこともあったのでしょうが、あまり記憶にないというのが実情です。「県の教育委員会に紹介してもらってこの地区に入ることになった」と言われたような気もします。機会があれば、改めて発掘してみたいと思います。

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