名古屋大学 児童文化研究会 (名大児文研) OB

名古屋大学児童文化研究会のOBが作るブログです。1960年代から1970年代にかけての写真や資料を紹介します。

黄色い扉 第8号(1973年4月発行)その7

1973年4月に発行された「黄色い扉」の振り返り7回目です。今回紹介するのは「研究会今期の抱負」というページ。としこさんの民話研究会の報告、プーさんのあそび研究会の報告、タマの童話研究会の報告、ミーの幼児教育研究会の報告、ヨッポンの中きゅしん研究会の報告、セキグチの子どものしあわせ研究会の報告(文責マチュキとなっている・・・代表者はセキグチで、この文章を書いたのはマチュキということか?)が載っています。まあ、いろいろと取り組んでいたのですね。

ところで、その「研究会今期の抱負」を紹介する前に、前回のことで、少し補足をします。前回、「名大児文研の歴史」というページを紹介しました。僕たちも、先輩から「名大の児文研はなあ・・・」という話を時折聞いてはいたのですが、何しろまとまった話を聞くわけではなく、活動の合間に雑談のようにして聞くだけですから、それほど体系的に児文研の歴史について講義されたわけではありません。ですから、あの文章を誰が書いたのか、どのように10年ほども前のことを発掘したのかはよくわからないわけです。でも、実は、僕の手元に「名大児文研のあゆみ」という、これもガリ版刷りの結構まとまった冊子があるのです。ある意味貴重な資料です。作られたのは、僕自身が入学する少し前、おそらく1960年代の終わりころ、昭和でいうと40~45年頃ではないでしょうか。今となっては、誰からもらったものなのか、先輩が持っていたものを「やるよ」と渡されたのか、部室にあったものを「おまえ持っとけ」と預けられたのか、ちょっと記憶が定かではありません。この冊子には、名大児文研の発足当時から60年代終わりころまでの活動が相当詳しく書いてあるのですが、いまだしっかりとはひも解いていません。もちろんスキャンしてデータ化してないので、このブログへの掲載はもう少し先になるでしょう。ガリ版印刷がひどく劣化していて、いや、最初から印刷が悪かったのかもしれませんが、読みづらいので、なかなか手を付けられないという状況です。ただし、表紙だけはスキャンしてあるので、「名大児文研のあゆみ」の表紙だけとりあえず紹介します。

これには、相当古い話、心に刺さるエピソードが、時系列で整理されて書いてあるので、いつか見やすい形にして残していきたいなと思っているところです。児童文化運動の、あるいは学生の民主的な運動の「歴史」の一部分なのですから。

それはともかくとして、「黄色い扉」第8号の「研究会今期の抱負は次の3ページです。