「黄色い扉」第3号のその2です。1972年の2月発行です。
記事に「新年会」の記事が出ていますが、おそらく平針か鏡が池でサークルの地域班がつくっていた「子ども会」の新年会のことだと思います。ただ、僕自身は「創造班」だったので、どの地域のことか、子ども会がサークルがつくったものなのかあるいは地域にあった既成の子ども会にボランティア(当時はこんな言い方はしなかったと思うけど)として入ったものなのかは記憶がはっきりしません。
当時「創造班・地域班問題」というのはよく議論されたものです。もともと名大の児童文化研究会は伊勢湾台風で被災した地域の子どもたちのための活動の中からつくられていったものなので地域活動がメインでした。その地域活動の中で人形劇やら紙芝居やらをしていく中で、もっと水準の高いものを、ということで特化していったのが「創造班」ということだったと思います。そして地域活動を継続していたグループが「地域班」になったのだと思います。
しかし、サークルの中で、地域活動と創造活動をどう調和させるのかはしょっちゅう議論されたのです。今回の「黄色い扉」の投稿はお二人とも地域班の人ですが、その問題が色濃く反映しています。
ということで、前回の続きです。
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