名古屋大学 児童文化研究会 (名大児文研) OB

名古屋大学児童文化研究会のOBが作るブログです。1960年代から1970年代にかけての写真や資料を紹介します。

黄色い扉 第?号(1974年後期)その2

手持ちの「黄色い扉」も今回で終了です。今回は、残り4ページ。愛人フェスの記事です。裏表紙とかがついていなくて、なんだか尻切れトンボになっていますが、編集に力を注ぐ余裕がなっかったのだろうと、勝手に想像しています。

元の冊子の印刷・保存が悪くて読みにくくなっていますが、ご容赦ください。

ところで、今「愛人フェス」と書くと、いったい何の集まりだと感じてしまいますが、これは「愛知人形劇フェスティバル」の略称で、決してアヤシイ人たちのお祭りではありません。名大児文研(創造班?)は「トラックとらすけ」を上演したようです。「トラックとらすけ」は、むすび座の丹下進さんの作で、今でも上演される名作です。

なお、このブログ、次回からは「黄色い扉」を離れて更新していく予定ですが、はてさてどうなるか。自分の気力の問題です。

 

黄色い扉 ?号 1974年後期

これまで、名古屋大学児童文化研究会が1970年代に発行していた機関誌「黄色い扉」を振り返ってきました。前回ブログを更新した日、5月16日からすでに1カ月以上たってしまったのですね。日にちの過ぎるのが速い! 時間の感覚が変化するのは、「海馬」の萎縮と機能低下が関係しているらしいですが、おーこわ、という感じです。

前回紹介したのは、第10号(1973年6月発行)でした。創刊号から、この10号まではほぼ間違いなく毎回保存していたのですが、この10号以降は、もらったのかどうか、保存していたのかどうかもあいまいで、今回紹介するのが第何号に当たるのかもよくわかりません。そして、今回の号(1974年後期発行、おそらく10月ころ)をもって僕が所有し保存しているものは終わりです。

次回からは、名大児文研の文集「わーっ!」を紐解いてみたいと思っています。ただ、まだスキャンそのものができていないので、きっと時間が相当かかると思います。

今回の「きいろいとびら」は、表紙を入れて8ページ。「ひとくちニュース」が面白い、というかギャグの羅列です。

 

黄色い扉 第10号(1973年6月発行)その5

名大児文研がかつて発行していた機関誌「黄色い扉」を振り返っています。ここしばらく忙しくて更新ができていませんでした。ほぼ1カ月ぶりです。

今回は、1973年6月に発行されたものの最終回になります。

記事は、ゾゾ君の「児童文学とわたし」、そして書記局のページ・・・「創造班、新作はできそうかい。すばらしい『ねこ山』を!」となってます。そういえば「ねこ山」っていう作品を作ったなあ。まあまあいい作品だった。創造班の作品として思い出すのは、「大きな大根」「イワンのバカ(影絵)」「海のシロフォン」「しっぽをなくしたキツネ」そして「ねこ山」・・・ぐらいかな。

その他書記局のページとしては、親子劇場の案内とか、原水禁世界大会への参加の呼びかけとか・・・バッジをつけるぐらいならできるのではないかなどと言ってます。そういえば原水禁大会の小さなバッジがあったなあ。今でもどこかにしまってあるはずですが・・・。

裏表紙に「見つめよう 日本の子どもたちを!(第1回全国会議スローガン)」とあります。さて、何の全国会議だろうか。思い出せない・・・。

 

黄色い扉 第10号(1973年6月発行) その4

名大児文研の1970年代の機関誌「黄色い扉」を振り返ってます。年を取ると、若いころが懐かしくなるのでしょうか、ついつい昔のことを考えてしまいます。今回は、1973年6月発行のものの第4回目になります。

記事は、「Y.GAZIBA 特別書下ろし 48.6.7」です。GAZIBAさんは、カシマさんでしょう。4年生と書いているので、そうだと思います。7ページにわたっているので大作です。文章を読んで反発を感じたりしたらやっつけに来てください・・・というようなことが書いてあって、当時の学生気質を感じます。今の大学生はどうなんでしょうかね。

 

黄色い扉 第10号(1973年6月発行) その3

1973年6月発行の「黄色い扉」を振り返っています。今回はその3回目。4ページ、二人分だけの紹介です。というのも、その次に来るカシマさんの文章が長い!ので、次回に回したいからです。

今回紹介するのは、プーさんの「20年前の自殺」という物語とTAROちゃんの「ちょっとしたこと・・・実はオソロシイコト」。プーさんは時々面白いことを言い出す人でした。理学部数学科ということで、数学科には、まあ変わった人が多いかもという感じです。数学パズルにも凝っていたなー。今回もパズルが掲載されている。暇のある方はどうぞ!

 

黄色い扉 第10号(1973年6月発行) その2

1973年6月発行の名大児文研機関誌「黄色い扉」を振り返っています。7ページ目から14ページ目までです。「児童文化と地域活動」という筆者不詳の投稿とあとは新人さんの紹介です。白井君、中村ひ君、杉野君、中村と君の4名の紹介が掲載されています。そして書記局から、掲載予定のものが掲載できなかったという「おわび」。この文章の中で、「名大祭のSo括を行おうとしましたが、これも破綻しました」と書いていますが、「破綻する」という言い方は、当時の学生の間ではよく使われていました。懐かしい言葉遣いですが、今でもこういう言い方するのだろうかと、ふと思いました。

 

黄色い扉 第10号(1973年6月発行) その1

名大児文研の70年代に発行した機関誌「黄色い扉」を振り返っています。1973年6月号です。気合が入っている! 1973年度は、4月、5月、6月と毎月発行で、内容も充実している。しかも、この月は「The Yellow Door」だそうです。発行者名(サークル名)も、怪しげであるものの「英語」で記載・・・。内容もバラエティーに富んでいます。Y.GAZIBAさんの「とくべつかきおろし」は、「論文」と言ってもいいような記事になっています。末尾に、おすすめの本の紹介がありますが、「たしかに」と言いたくなるような本が並んでいます。恥ずかしながら、いまだに読んでいない本もあります。あと、プーさんの「20年前の自殺」、TAROちゃんの「ちょっとしたこと・・・実はオソロシイコト」もおもしろい。

ただし今回は、表紙から6ページまで。1年生3人の「この間サークルをやってきて」、ガンタさんの「人形劇と童話の夕に参加して」を紹介します。